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インフルエンザ雑学

インフルエンザ雑学

(1)流行の歴史
病因や診断法が明らかでなかった時代においても、様々な文献や記録にインフルエンザの流行があったことを推測させる記述がある。
最も古い記載は紀元前412年のヒポクラテスとリヴィによるものとされている。それによると「ある日突然多数の住民が高熱を出し、震えがきて咳が盛んに出た。たちまち村中にこの不思議な病気は広がり、住民たちは脅えたが、あっという間に去っていった」との記述がみえる。その症状から明らかにインフルエンザと思われる疾患の流行が初めてヨーロッパで記録されたのは1173~1174年のことである。14~15世紀にもインフルエンザの流行を示唆する記録があり、16世紀のヨーロッパではすでに「インフルエンザ」という名で呼ばれていたようである。
わが国でも古くは平安時代(貞観4年:862年)にインフルエンザの流行をうかがわせる記述がある。同時代の歴史物語「増鏡」には「ことしはいかなるにかしはぶきやみはやりて人多くうせ給ふ中に・・・」とある。江戸時代には宝永年間(1707年)から慶応2年(1868年)まで23回の流行の記録があり、「お駒かぜ」「谷風」「琉球風」などと呼ばれた。

(2)インフルエンザの名の由来
16世紀のヨーロッパではこの爆発的な流行を示す咳を伴う熱病を「インフルエンザ」と呼んでいた。その流行が周期的に現れることから、イタリアの星占いたちがこれを星の影響(influence)と考え、インフルエンザと呼んだと言われている。

(3)20世紀に起こったパンデミック
20世紀に人類は4回のインフルエンザの大流行(パンデミック)を経験した。パンデミック(pandemic; ギリシャ語の「すべて」を意味するpanと「人々」を意味するdemosから由来する)は、短期間に世界的に流行が拡大し、年齢を問わず多数の人々が感染する状態をいう。
インフルエンザウイルスは内部蛋白質の抗原性の違いによりA型、B型、C型に分類されるが、パンデミックを起こすのはA型である。
パンデミックの際は「スペインかぜ」や「アジアかぜ」など国名や地域名を冠して呼ばれるが、必ずしも流行の発生地を意味するものでなく、とくに目立った流行がみられた地域を指していることが多い。
スペインかぜ(H1N1)(1918~1920年):
1918年春から1920年にかけて3波にわたって全世界を襲ったスペインかぜは2000万人以上の死者を出し、疾病史上有数の大被害となった。スペインかぜの呼称は、スペインの王室に流行が及び、これが大々的に報じられたことによる。わが国では1918年8月から1921年7月までの3年間に、当時の我が国の人口(5700万人)の約半数の2380万人が罹患し、388727が死亡したと報告されている。
アジアかぜ(H2N2)(1957~1958年):
流行は4月に香港で始まり、たちまち東南アジア各地から日本、オーストラリア、さらには米国、ヨーロッパなど全世界に波及した。学童や集団生活者の罹患者が高かったがその死亡率はスペインかぜの約1/10と比較的軽度であった。
香港かぜ(H3N2)(1968~1969年):
1968年6月、中国に源を発すると考えられる新型インフルエンザ(H3N2)が香港で爆発的に流行した。全世界で56000人以上の死者を出した。ヨーロッパへの影響は比較的軽微であった。
ソ連かぜ(H1N1)(1977~1978年):
流行は1977年5月に中国北部から始まり、12月までにシベリア、西部ロシアに波及した。

(4)ヒト・インフルエンザウイルスの発見まで
1889年から90年にかけてインフルエンザパンデミックがヨーロッパを襲ったが、このときドイツのPfeifferは患者の鼻咽頭からグラム陰性の短桿菌を分離し、インフルエンザの病原体としてHaemophilus influenzae (インフルエンザ菌)(これは後に誤りと判明。ヒブワクチンはこの細菌に対するワクチン)と名づけた。その後、1931年米国のShopeはインフルエンザがウイルスによって起こることを初めて証明し、インフルエンザウイルスの病原性や免疫に関する研究は急速に発展した。1940年には、最初に判明したA型インフルエンザとは血清学的に異なる第2のウイルスが分離され、B型インフルエンザウイルスと命名された。

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